2011/06/18

Day11-13: Uyuni Tour

高山病になりました。


ウユニ塩湖まではなんともなかったんだけど、
その後標高5,000M近いボリビアの国立公園いって、

そこでもなんともなかったんだけど、

そこで温泉入って、、、アウト。

お酒飲むのもそうだけど、血行よくなると高山病になりやすいんですって。

わかってたんだけどね、、、

欧米人たちがはしゃいでるから混ざりたくなってさ、、、
しばらく湯船につかってなかったしさ、、、

高山病の症状は人によっていろいろあると思うんだけど、私の場合は食欲が一切なくなりました。
ずっと満腹状態で、2日くらい何もたべなかった。
あと頭が重くなるような頭痛がずっと続いてた。

高山病ながらもせっかく国立公園なので景色は満喫してきました。
あと、凧あげの任務も(いちおう)果たそうと思って、風がでてきたときに凧とりだしたら、
まわりのおじさんたちが「走れ」とか「もっと走れ」とか「走れ走れ」とか、スパルタ的に
指導してきてくださって死ぬかと思った。

あの、私、高山病なんです!

ってスペイン語調べとけばよかった、、、



 よくがんばりました。

で、ですね。まだ続きがありましてね。

よくがんばったけど、やっぱり山だからうまくあがらなかったんです。
そしたらドン・カルロス(ツアー一緒だったボリビア人のおじさん)が、

「ジープを使え!」

と、、、、

カルロスが凧をもつ。私がジープの荷台にのって糸をもつ。ドライバーさんがジープを走らせる。
そうすればジープが走ってる間、凧は勝手にあがるではないか。

ってことらしい。

無茶。もう、無茶どころか危険。師匠に激怒されるレベル。
「無理!こわい!」っていったけど「大丈夫大丈夫」となだめられるばかり。
だけど鉱山病だったから(言い訳)その危険性を説明する気力もなかったし
やらずには場がおさまらない感じだったので、

やりました。


師匠たちごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

もう二度としません。

2011/04/18

Day11: Teotihuacan

メキシコシティから50kmほど離れた場所にあるテオティワカンという都市遺跡に行った。
行きのバスは、ギタリスト2人つき。


とにかく広大で、ただただ圧巻。
ピラミッドもいくつかあったけど、全部登ってやったぜ。






ピラミッドに階段がついているのは、当時、宗教的な儀式が行われていたからだと思う。
見晴らしがよい。「神(の視点)に近づけた」って勘違いできちゃうくらい。
ま、実際のところは、急な階段を数百段、1.5リットルの水抱えながら、ぜぇぜぇ登っただけなんだけどね。(その達成感も手伝って、勘違いも引き起こしたのではないかと思う。)

日差しの強さが容赦なく、太陽が近く感じて怖かった。
そういう自然への畏れみたいな感覚は、紀元前1-2世紀の人たちとも共通だったと思う...ってばっちり「こじつけ」だけど!ははは!
 
それではまた!

2011/04/17

Day11-13: Uyuni Tour - Photos-

突然ですが、ウユニ塩湖写真コーナーです!

到着直後、大興奮。

ジープ乗って、塩湖の中へ



 もう、美しいとしか言えないです。



 ジャーーーーンプ!!!
 動画もお楽しみください。




行きたくなったでしょー?

2011/04/09

Day10: Clown, Hector and Me

さて凧あげ。目星をつけていた2つの公園に向かってみる。
ひとつはBosque de Chapultepec。敷地内に美術館や劇場もある広大な公園だが、木が多過ぎて凧あげには不向きと判断。

ピエロが大道芸をやっていたので背伸びして覗き込んでいたら、"Japonesa?(日本人?)Come on!"と前に呼ばれた。巻き込まれてみることにしたら、案の定、踊らされた。


自分が踊っている間の映像は撮れなかったけど、上のような踊りをオアハカ出身の男性と踊った。他にもピンクパンサーのテーマに合わせて忍び足でどこかに侵入するフリとか、タイタニックの有名な船の先頭でのシーンとか...。はりきってたら賞品までもらった。

賞品。ピエロが作ったバルーンアート!
 その後場所を移動して、前日に友人たちと散歩したUniversidadあたりの公園に行ってみたら、凧あげをしているちびっこたちがたくさんいた。


私も凧を広げて準備してると、上の写真左側にいる男の子が、"bueno" とか ”aire" とか言って、私を別の場所に連れて行こうとする。とりあえずいい風があるらしい。
のこのこ彼について行ってみたら、この子むちゃくちゃ凧あげ上手。


Hectorという名前と11歳という情報しかわからないまま、とりあえず4時間、いっしょに凧あげし続けた。(その間ほとんど休憩なし)
私だけではなく、公園にいた他の凧あげしているちびっこ達にもちょっかい?いえ、指導し回ってたし...何者だったんだろう、奴は?


しかしやっぱりやらかしてしまって、高い木2本にわたって、凧をひっかけてしまった。

 
凧、救出作業中
するとHectorが大人たちを大勢集めてきてくれた。肩車したりしてみんなでなんとか凧を救い出した。こういう状況で感謝を伝える言葉が乏しいことが悔しかった。

凧を救出後もさらに凧あげは続いた。
4時間くらい一緒に同じことをやってると、私はほとんど英語、Hectorはスペイン語しか話さないのに、なんとなく話が通じているように思えたのがおかしかった。


その後Hectorに、帰らなきゃいけない旨を伝えたら、いままで何事もなかったようにあっさりと"Esta bien, chao!"と言って走り去ってしまい、友達から奪いとった自転車で、公園をぐるぐる旋回していた。さっきまでの蜜月(死語)は何だったの?急に冷たくしないで!

そんな日曜日。ものすごく日焼けした!

2011/04/08

Day9: Meeting with Marisol

大学2年の夏休みに3週間ほどメキシコの田舎町で暮らした。宿と食事を提供してもらうかわりに、環境問題に関するボランティア活動をするというプログラムのはずだった。
が、じっさいのところ、ちびっこと踊ったり、やたらにカラフルなお墓を掃除しにいったこと、チリが合わなくてお腹を壊していたこと、ほぼ毎晩テキーラを飲んでいたことくらいしか記憶がない。

そのときに知り合ったMarisolに、およそ7年ぶりに会うことになった。 


Tequila, Mexico, August 2004
Universidadという地下鉄の駅で待ち合わせることになった。
至極どうでもいいことだが、公然でいちゃつくことに関してメキシコはかなり寛容かもしれない。というのは、何度か乗った地下鉄で、いちゃついている(しかも激しい)カップルが目につかないことが無かったからだ。偶然?じゃないと思う。あの髪の毛ジェルだらけの男は彼女に"Mi amour"とか囁いてたのかな?いや、もっと暗号みたいに複雑で、2人の間でしか響かない言葉だったのかもしれないけど...知らんわ。とにかく車中にいるあいだは目のやり場に困った。

Marisol、ホステルで知り合ったシンガポーリアンのSueと共に、メキシコ国立自治大学やCoyoacanという住宅街を散歩し、食堂で、やっぱりタコスのようなもの(Tostadasというらしい。小麦粉、トウモロコシの粉でできた皮(トルティージャ)を揚げ、肉や野菜をのっけたもの)を食べた。このときに食べたのは赤いチリソースとアボカドが入った緑のチリソースをハーフ&ハーフでのせたもの。やっぱりチリからは逃げられない。



Marisol, Me and Sue

その後はずっと3人で、仕事のことや将来のことを何時間も話していた。

場所とメンバーが違うだけで、東京で週末にしていることとあまり変わらない。



派手な観光名所には行かなかったけど、 旅行中2度目の土曜日がひとりじゃなかったってだけで、十分うれしかった。くだらないこと沢山はなせる人って、大事だね。またね、みんな。


2011/03/10

Day11-13: Uyuni Tour 1

ウユニツアーは6人乗りジープでいきます。

メンバーは、ボリビア人父娘、スペインからきたギャル3人、とジャパニーズの私。ドライバー兼ガイドさんもボリビア人で、全員スペイン語圏。完全にアウェーです。

だいぶ不安を感じながらのも、まずは念願のウユニ塩湖。

上も、下も、空。

マグリッドの絵みたいだった。

ツアーじゃなければ、もっとあの世界にいたかった。

塩湖には一軒、塩のホテルがあり、日本人はだいたいそこに泊まって2日間ウユニ塩湖を満喫するみたいです。(というか、そこはほとんど日本人しか泊まらないようです。電気も水もなく、夜がものすごく寒いとこなのでサムライ並みの忍耐力が必要なんだと思う。)

私も日本人なので「泊まってみたい」とクスコの時点でおばちゃんに伝えたのですが「あんなとこ誰も泊まらないし、まして女の子1人なんてバカじゃないの?!」と一瞬で却下されていたのでした。

実際のところ、シーズン中は常時日本人が毎晩30人くらい宿泊しているので、女性ひとりでも大丈夫そうです。(保証はできませんが)

まあ、塩のホテルじゃなくても塩湖のそばのホテルに泊まって次の日も塩湖の中の違う場所みるって言ってたし、いっか。

塩湖での夢のひとときを終え、ジープはまた村の方向に戻っていきます。

そして、小一時間経過。

村の場所が分からないくらい遠くまできました。

これは、

どう考えても塩湖からはなれてるぞ。。。

ドライバーさん(スペイン語オンリー)に「明日も塩湖見るんですよね?」って聞いても「塩湖にはもう行かないよ」と笑顔。

え??

おばちゃんが言ってたのと違う!!

ギャルたちに聞いてみると、今からチリの国境付近まで向かうとのこと。

つまり、また数時間悪路の移動です。
そして、塩湖は二度と見られないということ。

ああ。。。

おばちゃんのばか!!

(Uyuni Tour 2に続く)

ちなみにウユニ塩湖では興奮しすぎて凧あげどころじゃありませんでした。


2011/03/09

Day8: Arrived in Mexico City&Lucha Libre

またメキシコに来てしまった。約7年ぶりだ。





「来てしまった」と書いたのはもう2度と来ないと思っていたから。
日本から気軽に行けるような距離ではないし、当時3週間滞在したので、なんだかもうメキシコのことがわかったような気になっていたからだ。料理はたいがい辛くて、時間は"メキシカンタイム"で(20分くらいで着くよと言われ2時間かかるようなことがよくあった)、その割に(?)教会の前を通る時に十字を切るスピードは凄まじくて、なんとなく好色で…というのが、私のきわめて雑なメキシコ観だ。

サンフランシスコからの飛行時間が約4時間程だったので、ほとんど眠れなかった。
頭ふらふらで地下鉄を乗り継ぐ気力がなく、ホステルまでタクシーで行ったら、予想通り、運転手によるスペイン語講座が始まった。

ホステルに荷物を置いてからZocalo周辺を散策したのだが、とにかく暑くて湿気がほとんどない。







 

思えばシアトル、ポートランドでは4枚+ダウンジャケットの厚着だった。サンフランシスコでダウンジャケットを着なくなり、メキシコでは一気に半袖のTシャツ1枚になった。
中心部だからという理由もあるが、とにかくうるさい。売り子はガンガン音楽が鳴る中とにかく叫んでいて、お祭りと日本の選挙運動シーズンを掛け合わせたような感じ。陽射しが強くて、建物の色合いが鮮やかすぎて目にもくる。細々とした路面店も沢山並んでいて、その中でバドミントンのラケットと羽を売っている人達は、通りを挟んでバドミントンしてるし…カオスすぎ。昼食で食べたタコスはやっぱり辛くて、指で付け合わせの野菜をつまんだ時、凧糸で切った傷口にしみた。そんな感じで、五感をフルに刺激されてやっと、メキシコに来ちゃったんだなまた、と思った。

その後、夕方からホステルの人達と飲みに行き、そのままルチャリブレ(メキシコのプロレス)を見に行った。
3対3のチーム選の試合が数ラウンドあり、選手たちのマスクが超カラフルでかわいかっこよい。


 私たちは、とにかくひたすらどっちのチームが勝つか掛け合い、勝った方にビールや食べ物を奢り合っていた。
そんな、呑気な暑い国での8日目。

Day10: Cusco -> La Paz -> Uyuni

また移動が続く。しかも今回は2日連続夜行バスだぜ。

マチュピチュからクスコへ戻り、その足で夜行バス乗り場へ。バスを待つ間、旅行会社おばちゃんと指差し会話悵で盛り上がってしまい、また乗り場までダッシュ。

バスはほぼフラットになり快適。約15時間の長旅にも耐えられそうです。

朝、ティティカカ湖を横目に見ながら起床。しばらくするとバスから降りろとの指示。歩いて国境越えました。

ボリビアの首都ラパス到着後は、旅行会社のお兄さんたちとボリビア定食を食べに。パスタとサラダの上に、固めの牛肉がのったもの。半分も食べないうちに限界がきました。夜行バス中、ほとんど食べてないしお腹すいてるはずなんだけど。これも標高が高いせいでしょうか。(ラパスは標高3000メートル越え)

ちょっとだけごろごろし、夜行バス2本目。

ウユニ行きのバスはスーパー寒かった。靴下2枚重ね、ズボン2枚重ねでも寒い。ヒートテック上下持ってきてたのに完全に忘れてたことが悔やまれます。あと、体が跳ねるほど(ほんとに横転寸前くらいに)揺れた。*

*雨季のラパス、ウユニ間はほんとに悪路です。私は10時間ちょいで着いたけど、20時間以上かかったとか、タイヤがはまって動かなくなり、一旦バス降りたって人もたくさんいました。

寒さと揺れでぼーっとしてた私に、夫婦で来てた2人が「前の席の3人あやしいから荷物気をつけて」とか、優しいアドバイスくれる。この旅、ほんといろんな人に助けられてます。

というか、私も2人旅したい。100%頼れる人と旅して、こういうときも安心してすやすや眠りたい。。。

とか考えてるうちに、8時頃ウユニに到着し、ゆっくりする間もなく10:30にはウユニ塩湖ツアーへ出発です。

大丈夫か、私。


2011/03/04

Day9: Machupichu

そんなこんなで、やっと行けました。マチュピチュ。

凧あげ禁止と聞いてたので、空撮はあきらめ、ちっちゃい凧持参。一番人が少なく、かつマチュピチュが写るところを見つけてしまい、早速凧あげ。ワイナピチュ、インカの橋などの見所を無視し、1人奮闘。

そしてあがりました。

もともとラピュタみたいな超空中都市みたいなものを妄想してたのでそこまでの感動はなかったけど、周りが山と崖ばかりのあんなところに都市をつくってしまったという事実は、ほんとものすごいと思う。石の組み方も美しかったです。あと、リャマの子がかわいかったです。そういえば私まだアルパカ見てない!!(食べはしたけど)

下界までバスで戻ったあと、行きの列車が一緒だったポーランド人の子と、帰りの列車が来るまでごはん食べて待つことに。だらだらしすぎて出発まであと10分になったので早足で駅へ。着いてから電車のチケットをレストランに忘れてきたことに気づく。

ダッシュしました。

のどかなマチュピチュ村で。

(ちなみにその間、貴重品ふくむリュックは駅に放置)

駅員さんたちに早く早くと急かされながら列車に飛び乗った瞬間に発車。ダッシュ自体ひさびさなのにこんな標高たかいとこで、、、死ぬかと思った。

その勢いで夜行バスにのり、ラパスに向かいましたとさ。




Day8: Ollantaytambo -> Cusco

5時おきでオリヤンタイタンボ駅に向かうと、なんと、川の増水により、今日の分のマチュピチュ行きの列車はオールキャンセルとのこと。

日程かつかつの身としては、ここまで来といてマチュピチュ行けないんじゃないかというショックで相当凹みましたです。。。でもそのとき話した大学生5人組が超ポジティブで。「みんなが困惑してる様子を動画におさめとこう」とか「こんなことあったら最終的にマチュピチュ見たときの感動すごいだろな」とか。なんか楽しそうで、救われた。

私、忘れてました。

旅行中はプラス思考するしかないんだってことを。

インドの濃すぎる日々だって笑ってすごしたし、チュニジア行きの船が3日遅れたときもスペインのストの日も楽しい出会いがあったじゃないかーー!

とりあえずクスコに戻って1から出直そう、とミニバスでクスコに戻ったら旅行会社のおばちゃんに「Mayumi!!オリヤンタイタンボのホテルに11回も電話したのよ!!!あんた、なんでクスコに戻ってきちゃってんのよ!」と、怒られました。どうやら旅行会社パワーで明日の列車に振り替えてくれるようです。またクスコからバスでオリヤンタイタンボ向かわなきゃ行けないのでだいぶ早起きだけど、まあよかった。その後のかつかつ日程もてきぱきと組み直してくれました。ありがとうおばちゃん。

昼過ぎ、晴れたのでクスコでの凧あげを試みる。クスコは治安対策なのか街中に警官がいっぱい。見た目こわかったからためらいつつも「広場で凧あげていいですか?」って聞いたら快諾。

しかし、肝心の風がない。

もっといいとこがないか聞いてみると、サンクリストバル教会がいいんじゃないかとのこと。

教会はちょっとした高台にある。ほんの10分だけど、高地で坂道のぼるのはつらい。着いたときにはだいぶ息切れ。。。

しかも、着いてみて初めてわかったけど、ここはカップルのいちゃいちゃスポットだぞーーー

おまわりさん、ひどい。

そんな中、大きい凧を持ちながらひとり風を待つ。吹いても弱かったり、突風で風あばれたりとなかなかうまくいかず。カップルの皆さんに邪魔してすみませんでした、と心の中で謝りつつ、教会を後にしました。

明日こそマチュピチュ!!


Day7: Lima -> Cusco -> Ollantaytambo

この日はひたすら移動。

イースター島から夜にリマ着。

まずは仕事仲間のさとまさんに紹介してもらったさりなさんに会うためにミラフローレスへ。タクシーのおじさんがものすごくしゃべってくる。スペイン語できないなりに分かったとこだけ一言二言答えると、100倍くらい返ってくる。こっちが困惑してるのに終始笑顔。降りるときまちがってチリのお金わたしたらやっと悲しそうな顔してた。ペルー、思ったよりこわいとこじゃなさそうだぞ。
ミラフローレスは大きなデパートなどあってこじゃれた感じ。スーパーでお菓子とか買って本日の宿、Eda innへ。宿のおじさんがサービスで夜ごはん用意してくれました。ごはんにかまぼこ、野菜、春雨いためたやつをかけたもの。ふりかけつき。まだ一週間しかたってないけど、ちょっと日本が恋しくなる味でした。さりなさんが買ってくれたやわらかいクッキーの間にアーモンド風味のチョコがはさんであるお菓子もおいしかった。おじさんとさりなさんと1時くらいまで話して、ねことあそんで、おじさんがお湯はってくれたお風呂につかって就寝。お風呂のおかげで久々に熟睡。

翌朝、名残惜しいEda innを後にクスコへ移動。クスコ到着後、早速クスコ空港内の旅行会社へ。というのも、Eda innのおかみさんと今後の予定を話したときに「高山病になってるひまないくらいかつかつの日程」と言われたからです。各地で交渉してる時間も無駄なので、マチュピチュからボリビアのウユニまで、交通手段やら宿やらおさえてもらいました。説明してる途中で頭くらくらするし、息切れするしで、交渉する気力もうせてたのでかなり多く払ったと思うけど、いいんです。熱くなりすぎて高山病になってる場合じゃないのです。

その後、ちらっとクスコを観光してミニバスでオリヤンタイタンボへ。オリヤンタイタンボはマチュピチュ行きの電車がでている小さい村。ここでブログにコメントしてくれてた野口さんに会ってきました。多くの人が単にマチュピチュへ行くための中継地点としてこの村に滞在する中、彼女は数日ここで過ごすそう。農村好きらしい。いろんな人がいるもんです。二人でアルパカのサラダを食す。思ったよりくせもなく美味しかった。雨だし夜だしで凧あげられなかったけど、凧にいろいろ書いてもらいました。野口さん、うめぼしもありがとう。

明日はいよいよマチュピチュ!


2011/03/03

Day 6-7: San Francisco

カリフォルニアは、細かいことは抜きにして、全体的にようわからんが、とにかく素敵な場所だと小さい頃から刷り込まれてきた。繰り返し見てきた「天使にラブソングを」や「フルハウス」の舞台がカリフォルニアだったことがかなり大きいと思う。
AmtrakのEmeryville駅から連絡バスでFisherman's Wharfに移動し、荷物を預けるために、Union Squareまでまた別のバスに乗った。チャイナタウンを通るバスだったのだが、どんどんバスの中の言語は中国語になっていった。前に座っているおじいちゃんは、私に中国語で必死に何か話しかけてくる。"Sorry, I don't understand Chinese." と言ってもいっこうに話をやめる気配なし。そのうちバスが混んできて、新たな乗客が入るスペースがなくなり、運転手が"Move back please"と言っても、誰も後ろに動こうとしない。運転手がシートを離れジェスチャーで誘導して、やっとみんな移動した。
皮肉などではなく、ただただあっぱれだと思った。

荷物を預けてから、サンフランシスコの西側にあるGolden Gate Park やビーチで凧あげした。この頃には、初めて訪れる公園で1人で凧あげすることにほとんど抵抗を感じないようになっていた。(何の修行だ)




 珍しい凧なので、いろんな人に声を掛けられた。ビーチでは凧あげをしている人達が沢山いて、特にカイトサーフィンという、凧あげとサーフィンを組み合わせたもの(文字にしてみると余計アクロバティックだ)をしている人達が多かった。


あっという間に夕方で、空も暗くなったので、空撮は次の日に賭けてみることにした。

その日の夜は、前から気になっていたairbnbでみつけたAlyssaとNicolasのアパートに泊めてもらうことにした。これはお金を払って人のうちに泊めてもらうシステムで、世界各国にネットワークがある。滞在後、泊まらせた方も泊まった方もお互いreviewしあうので、良いホスト&ゲストでいざるを得ない。



 気軽に見えるが、お互いの責任があってこそ成り立つ仕組みだと思う。初対面の人の家で、手作りの夕飯をごちそうになり、シャワーを借り、眠らせてもらうのは、こちらがお金を払っているとはいえ、やはりおかしな感じだった。ただ、頼り方って大事だとも思った。相手に勝手に期待しないこと。自分はどうしたいか知っておくこと。それはネットを介そうが、そうでなかろうが同じだ。

次の日は北の方にあるGolden Gate National Parksで空撮をしてみることにした。日本の凧あげの師匠だけではなく、Nicolasもお薦めしてくれた場所だ。小雨降りだったが、止むに違いないと念じていたら止んでくれたので、晴れている間に空撮することにした。


 何度かトライしてやっと、ゴールデンゲートブリッジを背景に、空から写真を撮ることができた。うまく写真が撮れたと思ったら、またすぐに雨が振りだしたので、凧あげはそこで切り上げた。




夜にはもうメキシコシティ行きの飛行機に乗らなければいけなかったので、その日がアメリカ滞在最終日となった。
慣れたと思った頃には別れなきゃいけない。大概の旅行とはそういうものだと思う。
今回のアメリカ滞在に関しては、各都市の滞在時間がとても短かったので、慣れないうちに別れる、みたいな感じだったけれど、滞在時間が短ければ自ずと集中するものだとも気づいた。東京では救いようがないくらい方向音痴なのに、ほとんど道に迷わなかったし。いつも自分が一番ようわからん。
そんな6日目と7日目。